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Uniting Food, Farm and Hotel Workers World-Wide


インド・ネスレ労組、承認と賃金交渉権を勝ち取る

Posted to the IUF website 29-Jan-2010





2009年最後の数週間で大勝利を得て、モガ、ポンダ、ビチョリムのインド・ネスレ工場の1200名の労働者は、初めて、賃金と手当てに関する労働協約を締結した。一年間に亘る賃金交渉権の闘争で大きな成果が上がった。本労働協約には経営者が秘密であると宣言していた賃金体系と賃金情報も含まれている。

2001年にゴアのネスレ・ポンダで組合が結成された時、インド・ネスレ経営者は組合の承認を拒否した。その結果、訴訟が起こされたが、経営者は8年間に54回も休廷を求めてわざと裁判を遅らせていた。このためにこれは更に注目すべき成功である。

2008年11月に、IUF加盟の全インド・ネスレ従業員労連のメンバーである本労組は、一方的に押し付けられる年間賃上げ制度の終了を求め、賃金を交渉する権利を要求した。インド・ネスレの経営者は、交渉を拒否し、その代わりに4工場(モガ、サマルカ、ポンダ、ビチョリム)の50−200メートル以内の組合行動の永久差し止めの裁判所禁止命令を得て、ネスレ・インド労働者の結社の自由の基本的権利を事実上否定した。[該当記事はココをクリック。 ]

このためにキャンペーン運動が強化され、2009年4月16日には毎週行われる抗議行動が立ち上げられ、2009年5月25日にはデリーの外、ゴルガーンにあるインド・ネスレ本社前の大集会を行い、最高潮に達した。IUFは初めから終わりまでこのキャンペーン運動を支援して、2009年5月には、ネスレのOECD多国籍企業ガイドライン違反に対して正式な申立を行った。[この抗議に関する記事はココをクリック。]

各工場で毎週行われるデモとインド・ネスレ本社での集会に加えて、ポンダとビチョリム工場の組合員は会社主催の全ての行事をボイコットし、また半年以上に亘り残業を拒否してきた。食糧価格高騰で賃金が目減りしている時に大きな犠牲を払った。

現地の、または全国的な、そして国際的なプレッシャーが継続したため、インド・ネスレ経営者はとうとう9月に賃金交渉を始めた。交渉は12月に終了し、何十年にも亘る権利の侵害の後で、労働組合承認と労働組合権尊重に向けて大きなステップとなった。

4番目のインド・ネスレ労組、承認と交渉で勝利

1月5日に、インドのネスレで最新(2006年)かつ最大工場であるネスレ・パントナガールの労組は、雇用条件を交渉する権利を最終的に勝ち取ったIUF加盟の全インド・ネスレ労連の3つの姉妹労組に加わり、初めての賃金と手当てに関する労働協約を結んだ。

ネスレ・マズドール・サング(ネスレ労組)が2009年3月に攻撃的な組合つぶしの真っ只中で結成されて以来、それは厳しい闘いだった。労働者は、解雇、職種変更、経営者による組合登録妨害に対して大規模抗議行動と座り込み行動を行わなければならなかった。2009年5月に、不当解雇と労働組合権に関する4日間のストライキを終了させた三者合意を締結してからたった1日後に経営者は4名の組合指導者を停職処分にした。[-> 関連記事はココをクリック。]合法的な登録は9月になってから始めてされた。

最終決着の一環で、経営者は、組合結成メンバーの停職処分を撤回し、彼らは職場に戻った。