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Uniting Food, Farm and Hotel Workers World-Wide


インドのユニリバー経営者、労働者にムンバイ工場閉鎖の事実を知られ、パニックに陥る

Posted to the IUF website 26-Nov-2007





ムンバイのセウリ工場の違法閉鎖のキャンペーンを強化する中で、全インドユニリバー労組協議会(AICUU)は、ユニリバーの売れ筋ブランドを生産する最新工場の労働者の意識を高めるためにインド全国にチームを派遣した。あるチームは6日間で陸路を4500キロも移動し、またあるチームは警察から嫌がらせを受け追跡された。しかし、何千名もの労働者がムンバイ工場閉鎖の事実を知り、インドのユニリバー経営者はこの75年間で最大の危機に直面している。

IUF加盟のAICUUは、北部、東部の3200名の労働者にセウリ闘争を知らせるためにヒンダスタン・ユニリバー(ユニリバーのインドの子会社)の10の最新工場に戦略的に狙いを定めた。この地域は全国7億人の消費者に販売する売れ筋製品で会社が大きな利益を上げている地域である。

セウリ闘争の背後事実を伝えるパンフレットは8言語(英語、ヒンディー語、ベンガル語、タミール語、マラーティー語、グジャラート語、カナラ語、マリヤラム語)で印刷され、目標とされる工場の労働者に配布された。

これらの新しい工場の労働者のほとんどは、経営者の冷酷な面を経験していないが、これらの多くの工場が存在し、利益を上げられるのはインドの他の地域での組合潰しと違法閉鎖があるからだ。AICUUが北部と東部に派遣したチームは、これらの全ての新工場で労働者は経営者に大きな信頼を寄せていたが、今やこの信頼は粉々に砕けた、と報告している。

どこの工場経営者も、労働者に『ムンバイの人間』とは話さないように警告し、工場の出入り口での会合を止めるために警察を呼び、労働者を脅かし会合を解散させるために暴力団を雇い、好戦的な対応をした。オライでは、警察が工場の門から200メートル以内の会合は一切禁止すると宣言し、労働者の工場送迎バスは止まらないように命じられた。それにもかかわらず、AICUUのチームはバスを止め、労働者に会い、パンフレットを配った。
昨年のストライキ後に、経営者が偽組合を設立したバディのユニリバー工場では、経営者は労働者にムンバイのヒンダスタン・リバー従業員労組(HLEU)と会った者は全員解雇すると告げた。それにもかかわらず、労働者はHLEUと会った。経営者はさらに暴力団を雇い会合を止めようとしたが、これもうまくいかなかった。

AICUUは、経営者の混乱気味の必死の対応は、労働者の好奇心をさらにそそり、我々の闘争に関する情報といかにこの強力な経営者に挑み、持ちこたえていられるのかを知りたがった、と報告した。彼らの目からムンバイ工場の労働者は英雄だった。
サムペールプール工場では、組合代表が到着する前に経営者は警察に申立て、いかなる会合も許可しないと主張した。その結果、警察は労働者を脅かし、AICCU代表に嫌がらせをした。「我々が最初の交替勤の労働者の会合に向かっている時に、警察が来て、我々が車から出るのを阻止した。担当警察官は、上司からのプレッシャーにさらされており、既に一つの会合が開催されたために、他の会合が開催されれば職を失うと言った。彼はまた偽の罪状を課し、我々を逮捕すると脅かした。我々はそこを去るしかなかった。ハミルプールに着くまで警察が我々の後を追った」

経営者の脅かしと威圧にもかかわらず、AICUUチームは何百名もの労働者に会った。彼らはセウリ工場闘争に強い関心を示し、パンフレットを熱心に読み、質問した。労働者がキャンペーンパンフレットを読むのを経営者が止めようとしたケースもあった。ユニリバー・ナシク・アイスクリーム工場では人事マネージャーが組合員の手からパンフレットをひったくった。これは必死の行為で、経営者がキャンペーンの広がりを恐れていることを示している。

東部に送られたチームは、ガーデン・リーチ工場、クワリティ・ウォールズアイスクリーム工場、リプトン工場、ハルディア工場、ブルック・ボンド工場の労働者に会うためにたったの6日間で4500キロを移動した。これに応えて、現地の組合はムンバイHLEU闘争の支援を宣言した。コルカタのクワリティ・ウォールズアイスクリーム工場では組合書記長、プレムナス・ロイが工場の門で大集会を開き、セウリ労働者の闘争のために連帯を表明するように組合員に呼びかけた。

この全国行脚キャンペーンの第一弾は、2007年10月17日のインドユニリバー設立75周年記念行事の経営者の準備と時期が同じだった。労働者とその家族も参加する大きな記念行事の計画はムンバイからのチームの到着で邪魔された。会社のプロパガンダはセウリ工場の違法閉鎖の暴露で傷がつき、労働者たちはムンバイ闘争に連帯を表明した。