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ベラルーシで抑圧高まる

Posted to the IUF website 21-Apr-2006



IUF中欧・中央アジア事務所

ベラルーシで3月19日のアレクサンダー・ルカシェンコの大統領再選に抗議するデモ参加者への抑圧が解かれ、何百名もの釈放が行われた。彼らにとって屈辱の日は終わったが、拘留の重い暗い影は、今でもこの国を覆っている。

ヨーロッパの最後の独裁者は、歴史上前代未聞の82.6%の得票を確保し、90%を超える得票をした地域もあった。独立候補者の選挙運動をした者、またルカシェンコの完勝に対して平和的抗議行動を行った者はスペズナズ(特殊工作部隊)から棍棒で打たれ、罰金を科せられた。人権擁護者はジャーナリスト、外国市民、外交官を含む約500名が拘留されたと報告する。彼らの裁判は形式だけのいんちきなものだ。

ベラルーシ自由労組ブレスト地域支部の会長、ヴァレンタイン・ラザレンコフは刑務所に7日間入れられた。彼と2名の組合員は組合事務所付近で逮捕され、その罪は酔っ払いの侮辱を含む治安繚乱行為であった。3月20日の裁判は非公開裁判で、家族、同僚、ジャーナリストは法廷に入る事を許されなかった。この事件の主な証人は出廷せず、事件のファイルには証人の証言はなかった。二人の警察官が全面的に証言を行った。ラザレンコフは国家が挑発しようとして拘留されたと確信していた。彼の逮捕の1週間前に警官が毎日組合事務所に立ち寄っている事で彼の疑惑は裏付けられる。ラザレンコフは解雇されるのはないかと不安を抱いている。

独立金属労組会長ヴァシリー・レブチェンコフは、7日間収監された。彼はオルシャで野党大統領候補アレクサンダー・ミリンケビィッチの非認可集会を計画したかどで告訴された。この集会は2月24日に行われた。3月14日にレブチャンコは自宅を出たところを逮捕され、手錠をかけられ、警察に連行された。同夜、レブチャンコは厳密に非公開の形式で判決を受けた。しかし、彼を支援に来た友人は、裁判は翌日まで延期と告げられていたのだ。この間ずっと組合事務所は警察が封印していた。

独立労組の活動家で、Grodno Azotの窒素工場労組書記でもあるセルゲイ・リプニットスキーは、3月19日の選挙当日に友人とミンスクに行ったところを逮捕され3日間拘留された。2日間、彼の家族と同僚は彼の所在を知らなかった。

ジャーナリスでベラールーシ無線電信電気産業労組の活動家でもあるイワン・ローマンは、2度拘留された。最初に選挙前日の3月18日にミンスクで逮捕され、20日には釈放された。この間、家族と同僚が彼の居所を探していたが、わからなかった。釈放後に初めてリダ市の拘置所に2日留められていたことが判明した。ローマンはその後彼の経験をこう語った。ミンスクの警察所で見知らぬ平服の人間が彼に近づき、頭にピストルを突きつけ、組合の指導者としてテロ行為で告訴されたと告げた。もし、逃げようとするならば、運命は終わりだと警告された。それから裁判所でローマンは猥褻な言葉を発したと申し立てられ、罰金刑を受けた。2度目の拘留は3月23日でこの時は13日間留め置かれた。罪状は行政侵害法156条(治安繚乱行為)であった。大統領選挙運動期間とその後ほど、治安繚乱行為の告発が多かったことはなかった。何百名もの人間がこの罪状あるいは同じくらいばかばかしい罪状に問われた。

ベラルーシ労連(FBP)は、2002年にルカシェンコに乗っ取られて以来再度、完全に国家の機構に統合されたことを示した。FBPのウェブサイトではルカシェンコの選挙運動で4500名の労働運動活動家が先鋒をつとめていると豪語している。ルカシェンコ候補の支援のために集められた200万の署名のうち130万をFBPが集めたと言っている。組織のウェブサイトによると、総計341名のFBPの人間が選挙委員会に席を占め、4355名が地区委員会の代表である。選挙委員会の1万7千名のうち、民主勢力を代表するのはたったの1名である。

2006年の大統領選挙は歴史上類を見ないほど大規模に抑圧された。独立労組運動は全面的な抑圧を経験している。抗議行為に参加したための初の刑事裁判が行われようとしている。