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Uniting Food, Farm and Hotel Workers World-Wide


デルタ&パイン環境に対する犯罪、パラグアイの裁判勝利

Posted to the IUF website 26-Aug-2004





米国本拠の世界最大の綿種子生産者であるデルタ&パイン・ランド・カンパニーによる土地が汚染されてから6年後、パラグアイのリンコン・イ・イビキュイの農民は刑事裁判制度で前代未聞の法律上の勝利を手にした。裁判所の判決は、IUFがこの間を通じて支援してきた長期にわたる正義のための闘いの転機を記した。特にIUFラテンアメリカの書記局は、企業の力と司法および政治の腐敗に対するこの地域社会の闘いに常に政治的、組織的そして報道上の支援を与え続けてきた。*

1999年6月にIUFは、有毒な廃棄物の除去を会社に要請して、以下の記事をプレスリリースに書いた。

昨年11月に、パラグアイのデルタ&パインは、首都アスンシオンから120キロの農村地帯リンコン・イ・イビキュイ一帯に660トン3万個の期限切れの綿の種子の袋を投棄した。これらの種子は、有機リン化合物、アセフェート、クロルピリフォスを含む有毒な高い濃度の殺虫剤で処理されていた。有機リン化合物は、中央神経系を攻撃する猛毒である。種子の袋の表示には、アセフェート科学合成物質(商標名:Orthene 80 Seed Protectant)「動物実験データーより発ガン性、突然変異誘発性、生殖能力に影響を与える物質を含む。癌の危険性はこれに晒された期間とその程度による」とある。この有毒カクテルは、1.5ヘクタールにわたって投棄され、上には薄く土がかぶせられたのみである。投棄場所は3000名の村人が住む村の中央に位置する個人所有の土地であり、262名の生徒の通う小学校から170メートルしか離れていなかった。

健康問題が即座に報告された。殺虫剤中毒の良く知られた症状である、めまい、吐き気、頭痛、神経科疾患、記憶喪失、不眠、皮膚の発疹が直ちに現われた。最初の雨で有害な臭気が当たり一面にひろがった。井戸やポンプから水の代わりに有毒な汚泥が滲み出した。

住民の医療検査で、急性殺虫剤中毒の反駁できない証拠が上がった。農業省と公衆衛生省は、この検査の結果を認めたものの、なんら行動を起こさなかった。教育省は、汚染された校庭を放棄しなければならなくなった時、村人が組織した学校の支援を拒否した。IUFは、パラグアイの厚生大臣と大統領に会い、デモを組織し、汚染の犠牲者の支援を援助した。それでもまだ、政府は行動を起こすことを拒否している。

IUFのキャンペーンに対して、同社は、子会社の行動はなんら土壌と水の汚染を招くものでもなく、またどんな形の公衆衛生上の問題もないと否定した。デルタ&パインの最高経営責任者ロジャー・マルキンは、投棄はパラグアイの法律に従い、『土壌の肥沃さと質を高める』『土地農耕』として知られる投棄技術を使用したと述べた。マルキンによると、種子処分によって人々の健康や環境が影響を被ったケースはひとつもないということだった。

この毒は、12月28日に最初の犠牲者の命を奪った。この日、アガスティン・ルイス・アランダが死亡した。ルイス・アランダは、この投棄に注目を集め、政府の行動を求めるために現地の地域社会で結成された環境・人権擁護委員会で活動をしていた。彼の公式死亡証明書には、フリオ・チャベスの土地に処分されたデルタ&パイン・ランド種子の毒により生じた汚染の急性中毒のため医師の治療を受けていたことが記載されている。


デルタ&パインの投棄を組織したネリー・ガズマン・リヴァスは、パラグアイの刑事裁判所で不法投棄と故意の環境破壊の罪で2年間の判決を受けた。自分の土地に有毒な種子を投棄したフリオ・チャベスは、共犯として15ヶ月の判決を受けた。

この投棄が国内でまた国際的に注目を浴びるとすぐに国外に逃げたデルタ&パイン・パラグアイのチーフ、エリック・ロレンスに対する裁判は、まだ決着していない。彼は、今は正式に裁判の逃亡者である。

この裁判の勝利は、特に1998年11月に環境・人権擁護委員会を結成した粘り強い村人の功績であった。この委員会の憲章の第一段落には、その目的は、デルタ&パイン、エリック・ロレンス、ネリー・リヴァス(それそれデルタ&パイン・パラグアイのオーナーとマネージャー)をはじめとする者を環境汚染の罪で非難し、現地、部門および国内当局に対し、言語同断な行動に責任を持つ人々を罰するために即差に介入することを要請するとある。

1999年9月から12月まで、委員会はアスンシオンで同社を法に照らして処断するために、本地域の汚染除去、犠牲者に治療と賠償を得ることを目的としてデルタ&パインの環境災害に関する非常に有益な公共聴聞会を開催した。

裁判所で象徴的な正義を勝ち取った。環境に対する犯罪のこれらの判決は、パラグアイでは初めてのものであり、おそらく中南米でも初めてのものであろう。責任を否定しつづけている同社が民事裁判所で最終的に犠牲者に賠償し、遅れた除去を開始するために行動を強制させられるかどうかを見守ることが残されている。

パラグアイの犯罪が起こった時、デルタ&パインは、株式交換を通じてモンサントと合併の過程にあったが、この合併は失敗した。デルタ&パイン・ランドは2度目に植えられた時は、種が発芽しないこと確実にした遺伝子操作技術である悪名高いターミネーター技術に(米国農業省とともに)共同で特許権と単独ライセンス権を持っている。ターミネーター特許は、農民が種子を保存できないことを確実にするように企画されたものである。こうして、農民を同社の供給物に依存させてしまう。モンサントは、(少なくとも公けには、)ターミネーターを非難したが、農民を彼らの種子と化学製品(ラウンドアップレディGMO種子)に全面的に依存させる他の方法を見つけた。

*Semillas de la muerte (死の種)ウルグアイ人ジャーナリスト、カルロス・アモリンによる投棄と地域社会の闘争の詳細な報告はラテンアメリカ地域書記局で入手可能。(スペイン語のみ)